夢窓疎石とは

夢窓 疎石(むそう そせき)

1275~1351(建治元~観応2)
大本山相國寺開山国師

父は宇多源氏(伊勢源氏)佐々木家の出身、母は平氏の出身で、1275(建治元)伊勢国(三重県)に生まれる。1279(弘安2)頃、母方一族の紛争により、甲斐国(山梨県)に移住した。

その後、奈良、京都、関東へと移り、一度甲斐へ帰国するが、全国各地を巡歴され1325(正中2)に上洛、南禅寺の住持に招かれるが、翌年鎌倉へ移り円覚寺を復興。

鎌倉幕府滅亡後の1334(建武元)南禅寺住持に再任され、1335(建武2)に後醍醐天皇の詔により京都臨川寺を開山、また「夢窓国師」の号を賜った。

1339(暦応2)西芳寺中興開山、同年後醍醐天皇が崩じると、光厳院の勅裁により天龍寺を開山。

相國寺建立時は既に逝去、しかし、弟子の春屋妙葩(しゅんおくみょうは)に迎えられ開山国師となりました。七人の天皇から号を贈られたことから、「七朝帝師」と称される。また、造園技術にも優れ、数々の庭園を造営された。